人間50年…おやじを楽しむ

先日、満50歳を迎えました。鏡を見ると「まーおっさんそのもの」ですね(´;ω;`)。うまく生きれて30年ちょっとくらいかな…これから「興味をもった事」「面白いと思う事」をもっと知ったり、やったりしていこうかな。

禅語である「挨拶」が起こす劇的な変化と必要性

こんばんは。
「挨拶」と言えば、「こんにちは」「こんばんは」など、軽いコミュニケーションを連想されると思いますが、実はすごい力を持っているのだなと感じました。

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目次

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我が家の前のお宅とはほとんど他人状態でした

前のお宅の鈴木さん(仮名)は50~60代の男性の独り暮らしです。
とてもお仕事が忙しいみたいで、帰宅時間も不規則で、休日も不定期のようです。
嫁さんが言うには「お医者さんみたいよ。白衣着ていたことがあったから」
だそうです。

なんか、

「救急病棟?」
とか勝手に想像していたりしていました。

 

とにかく、不愛想でたまに顔を合わすことがあっても
「知らん顔」
でした。

 

近頃バイク通勤してますが、色々と面倒なことが…

 

今年に入ってからバイクを買いました。

詳しくは、

 

www.oyaji50enjoy.com

 

家でのバイクを止める場所については、
奥から順に、

バイク→車

となっていまして

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こんな感じで

 

「私の方が早く出勤して早く帰宅する」
ということにより、


「朝、車を一旦出してバイクを出して、車を入れる」
という割と面倒な作業をほぼ毎日していました。

 

いい加減、嫌気がさして
最近では門の脇に止めることが多くなりました。

 

ある日のことでした

朝、いつものように通勤しようとバイクのところにいると、
ちょうど、鈴木さんが帰ってきていて、


なんかこっちをじっと見ていました。


すると、
「おはようございます。」

「セローですか?前に私も乗っていましたよ」


ちょっと、不意を突かれてしまったせいかその時は挨拶を返して


「そーですか…今は乗られてないんですね...」
みたいな感じの受け答えとなってしまいました。

 

その後、挨拶は当然するようになりましたが、


「ちょっと、暑くなりましたねー」


「スミマセンねーこの前は一斉清掃にでれなくって...」


みたいな感じの会話ができるようになってきて、


「なんか親しげ」
になったような気がします。


「なんだ鈴木さんいい人」
に感じています。

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私たちが、日ごろ何気に交わしている「挨拶」は、仏教にルーツがある禅語でもあります

「そばに身をすりよせて押しあうこと」という意味を持っています。


「挨拶」の「挨」には「押し開く、近づく」という意味があり、
「挨拶」の「拶」には「迫る。すりよる。」という意味があります。

 

ちなみに、禅の問答を集めた公案集(碧巌録)の中に

「垂示に云く、玉は火を將て試み、金は石を將て試み、劍は毛を將て試み、
水は杖を將て試む。衲僧門下に至っては、一言一句、一機一境、一出一入、
一挨一拶に深淺を見んことを要し、向背を見んことを要す。」

「言葉を投げかけ、相手の心境をおしはかり、その言動に緩急自在に対処しながら、心と心をぶつけ合う」
という言葉があります。


この中の「一挨一拶」が、日常でわたしたちが使っている”挨拶”の語源です。

 

 

言葉を交わさない限り他人であり、「物」とかわらない

毎日のように顔を合わせていても言葉を交わさない限り、その人は見知らぬ人であり
ただの物体にすぎませんが、

 

ひとたび


「おはようございます。」「こんにちは」「こんばんは。」
と声をかけられた瞬間に「物」から「人」にかわります。


まるで、「モノクロ」から鮮やかな「カラー」に変わるように…

 

そして、「人」と「人」とのつながりが始まります。

 

まー皆さん自然とやっていることなのですが…

 

まとめ

「おはようございます。」「こんにちは」「こんばんは。」自体の意味はほとんどなんの情報もない言葉ですが、


ただ、挨拶された瞬間から、


「得体のしれない人」

から

「安心できる人」

へと急変します。

 

「得体のしれない人」と「安心できる人」では大違いですね。

この180度に近い劇的な変化を「挨拶」という行動は引き起こしているのですね。


おしまい